昨晩はまたしても
富士市立高等学校あり方懇話会。
吉原商業高校の将来について、各委員の発表が一通り出揃いました。
大きく分けて、商業高校として特化していく・・と、総合選択制(総合学科?この違いがよくわからん)に分けられるかな?
この手の会議って当て職的な人選で、実はあんまり興味のない人が委員をやってるケースが多いんですが、この懇話会、ワリと真剣に話し合ってる感が高まってきている雰囲気です。(
ここらへんも参考に・・)
で、遅くに帰って来てから下の居酒屋で、来週
東京ベンチャー留学へ行く子の話に付き合わされてました。
これまでの人生を振り返るというか、こんなことをやって来たって書かなきゃならないようで、そういやぁ俺が学生の時はこうだったあーだったと、ついつい話し始めてしまいました。
途中で
ウトウトしやがるので、起きろー!俺の話を頼むから聞いてくれーと。
そしたら「
話が長いですよー、私は18年しか生きてきてないんだから」だって。
はいはい、そりゃそうですよね。生きている分、話は長くなりますよ。
まー、
若い連中とオヤジの違いは、単に物理的に経験した時間が違うだけかもしれません。
この前も県の商工会議所の方から、何かに掲載するんで略歴を書いてくれって頼まれて、一体これまで何やってきたのか、Excel使ってこちょこちょやってみました。
12歳で小学校卒業、15歳で中学卒、大学は6年も行くことになって、その頃には既に
沖縄に住んでて・・・なんてやってたら、24歳くらいで今で言う起業ってやつを一回やってますよ。
沖縄に居る頃にデザイン事務所みたいなのを共同経営して、意外と喰うには困らずで、特にTシャツの制作販売はそこそこだったなーと。
そんな経験が今になって
ストスタ・Tシャツグランプリとして役立つとは。
我ながら、へーっと思ったのが、あんまり起業なんて意識はなく、喰うには商売しなきゃ、やるなら好きな分野がいいよねって感じで、いろんな人の世話になりながら、時には頭を下げ、時には無理を押し通し、長年のバイトで培ったハッタリかまして、そのわりにはノンビリやってたなーと。
あの頃、経費面で一番頭痛の種だったのが本土との電話代。
通信インフラの充実とコストダウンは劇的だなー、やっぱり
若い時は光ファイバーが好きなわけだ・・・。