吉原祗園祭、いよいよ近づいてまいりました!
そんなわけで、3日の日曜日は山車掃除。
さらに、この日から太鼓を山車にセッティング。
太鼓の練習もドンドン佳境に入り、胃腸の調子もどんどんグダグダになっていくと。
ウチの町内(本町一丁目)の山車は、それはもう立派な造りでありまして、今からちょうど70年前の昭和12年(1937)、着工から3年をかけて完成。当時の金額をお米の値段で物価スライドすると1億円にもなるという、すげぇシロものなんでございますよ。
*↓前にも載っけた昭和12年(1937)当時の写真を、しつこいほど使いまーす
でね、この祭は現行の住居表示なんか一切無視して、すべて昔の町名で行われてます。
例えば、現在「吉原2丁目」と呼ばれる吉原商店街に面している所だけでも、旧町名だと「本町一丁目」、「本町二丁目」、「本町三丁目」、「六軒町」と細かく分かれ、さらには属する神社も違ってたりします。
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吉原旧町名マップ
さらに「東本通三丁目」と言えば吉原で唯一、一町内がひとつの神社(八幡宮)を守っている町内なんですがー、住居表示変更後にこの神社の住所が「南町」となってしまい、旧の…要は祭でいうところの「南町」は別の神社(天神社)の氏子なので、なんとも複雑な状況になっていると。
全国で旧町名に戻す運動が行われているような話も聞きますが、まぁ無理もないなぁと。
でで、俺は「本町一丁目」に属しているわけですが、実は住まいはすぐ隣の「南町」のマンションで、普段仕事場にしている実家も「南町」にあって、商売自体は「本町一丁目」でやっているという、これまた複雑な状況。
まー、最初は「本町一丁目」に家があったんでね。
まったくもって何軒分の町内会費を払ってるんだか・・。
あ"〜、めんどくせぇー!
そんなわけで、「南町」のマンションに「本町一丁目」のヤツが住んでいて、さらにややこしいことに、「本町一丁目」のマンションには「本町二丁目」のヤツが住んでいる。
おまけに我が家だけの特殊な事情ではなく、(ウチの副ダイヒョーを含めて)こんなケースは何軒もあって、しかも当たり前のこととおそらく誰もが思っている。
そう、吉原の町内会では祭が全ての中心みたいなもので、当然、子供会もそれに準じている。
ってことは、同じマンションに住んでいながら別々の子供会に参加する子どもたちがいる……と。
で、祭の現場を仕切る青年連中も、かつてはまちなかに住んでいたものの、今では郊外に引っ越してしまった連中も多くて、全国的にどこもそうだけど、まちなかのスプロールな状況はちょっと深刻・・・。
しかし、そんなヤツらも当日だけの助っ人的立場ではなく、溢れんばかりの地元愛でコアなメンツとして参加している。
いずれ、彼らがじじぃになった頃、山の方の家を引き払ってもういっぺん引っ越して来たくなるように、それまでまちなかが朽ち果てないように、こっちはこっちで頑張らなければ!
なんたって、ベロンベロンになっても這ってでも帰れるのがいい感じでしょ。
ホントに這ってるやつを見たことはないけど・・・。
*↓ついでに、先代の山車(屋台?)の写真もお見せしましょう!こちらは昭和4年(1929年)に撮影したらしいっす。まっーたく、なんでこんなにガキが多いんだ!?